敬遠された宇野さん
「人間が死んだらどうなるの」
「死んだらどこに行くのかな」
「仏教ではどう考えるのかな」
ガンの病状の悪化とともに、そんな言葉をつぶやくようになった宇野さん(仮名、67歳・男性)の心の痛みを、担当の看護師と主治医は見逃しませんでした。膀胱ガンの進行による激しい苦痛を訴えると同時に、安直に答えられないような人間の死や死後の世界に関わる質問を、顔を合わせるたびにぶつけてくるため、若い看護師などは宇野さんから足が遠のき、病棟で敬遠される存在になっていました。
そんな宇野さんに、主治医が「こういうお坊さんがいるけれど、会ってみますか?」と尋ねたところ、「会いたいです」と宇野さんが答えられたことから、私は伺うことになりました。
担当の看護師に案内され、宇野さんの部屋を訪れました。なにごともじっくり観察してから物事に対処するタイプの宇野さんは、その瞬時、まさに「どんな坊さんが来たんだ」と声に出さんばかりの様子でじっと私を見つめ、病室は緊張感につつまれました。
三人部屋の病室なので、他の患者さんの迷惑にならないような静かな声で、私は自己紹介を始めました。話していくうちに宇野さんの眼差しは変化し、いつしかやさしく穏やかに、こちらを見つめてくれているのを感じ、次第に互いの緊張が和らいでいきました。 |
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その後、宇野さんは名前を名乗り「よろしくお願いします」と息苦しそうにあいさつすると、「何か仏教の話を聞かせてください。私のような者でも仏さまのところに行けるのでしょうか」といきなり質問を投げかけてきました。
私は「あなたのご両親もすでにおられる仏さまの世界に、きっと生まれることができる」こと、そして「今までの人生がそうであったように、ご両親や仏さまは、宇野さんの痛みが和らぎ安らかであるようにと、今も守り祈って下さっている」ことを、私の声が痛みに響かぬよう、できるだけ静かに申し上げました。
宇野さんはすぐに、力を振り絞って身体をべッドから起こそうとしながら「もったいないよ」「ありがとう」と礼を述べられました。私には、その目が潤んでいるように見えました。 |
それから再訪の約束をして、その日は退室したのです。 |
いのちを共感する「とき」
数日後、宇野さんのもとヘ二度目の訪問をすると、痛み止めのモルヒネの影響で朧朧とした意識の中にあり、充分な会話ができない状態になっていました。
宇野さんの妻や担当の看護師には退室してもらい、二人だけの会話を試みました。宇野さんは、何かを私に聞いてほしい、語りたいけれどウトウトしてしまうという様子で、私も思いを伝えられないもどかしさを味わいながら、宇野さんの手をそっと握りました。すると、互いの温もりが伝わり、宇野さんはときおり、閉じていた目を開けると、こわばった頬をゆるめ、にこっと私に微笑みかけてくれるのです。 |
手を握り見つめ合う。そうした時間が十五分ほど過ぎたでしょうか、生死の境目で、不安を抱える患者さんの心を支えるつもりで来訪した僧侶の私が、言葉もおぼつかない患者さんの微笑みに、たとえようのない力を与えられていました。宇野さんと私のいのちは、今ここに確かにあることを実感したのです。 |
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「また来週、来ますからね」
「ありがとう、よろしくお願いします」
今日の訪問に別れを告げる私に、絞り出すように言葉を発し、苦しみの中から微笑みを返してくれた宇野さんでした。 |
微笑みの意味するもの
しかし翌週、温もりのある宇野さんに会うことはできませんでした。「また来週」の約束の言葉が、この世での別れのあいさつとなったのです。亡くなられたという病棟からの知らせを聞いて、宇野さんともう少し早く出会うことができたら、もっと彼の語りたかったことを聞かせてもらえたのにと残念に思いました。宇野さんと出会えてよかった、そしてきっとあの微笑みをくれた宇野さんも、私との出会いを好意的に思ってくれているにちがいないと推察し、本堂で追悼のお参りをしました。私は、背筋がぞくぞくするような感動をおぼえ、頬を濡らしました。
私たちは、他者との関わり合いから、喜びや悲しみという人間としての感動を味わいます。
死の看取りでは、旅立とうとする人を支えようと、患者の家族や医療従事者、宗教家といった周辺の人々が関わりますが、「いのち」という不思議ないとなみの上では、支えようとした方がまさに学ばせていただき、しかも大きな力をいただくばかりなのです。それは、まるで旅立つ人の「置き土産」のようです。身近な人を看取った経験のある方なら、おわかりになると思います。
たった二回の訪問でありながら、宇野さんとの出会いは、旅立つ人がこの世に残る者の心を耕すということを実感させてくれるものでした。 |
佼成 2009年(平成21年)8月号掲載 |
→9月号 「いのちのふるさと」を想う |