浄心寺の桜

最終回 「さようなら」の意味するもの

一日の別れ際に

 大切な人を見舞って帰るとき、みなさんはどんな言葉をかけますか。

 順調に回復している状態なら、さして気にも留めないのですが、重篤(じゅうとく)な場合には、部屋を後にするとき、「今日別れたら、これでもう会えないかもしれない」と、寂しい気持ちで一日の別れを過ごす人が、多いことだと思います。

 こういう場合、日本人の多くは「さようなら」なんて挨拶は交わせずに、「じゃあね」「またね」と言って、明日会えることを祈るように言葉をかける人が多いことでしょう。

 普段、健康なら何気なく交わす一日の別れの挨拶ですが、病気が重いほど、別れを惜しむ気持ちが強くなるものだと思います。

人間としての悲しみ

 一方、元気な子どもたちの挨拶をときおり見かけることがあります。幼稚園の帰りなどに「先生、さようなら」「皆さん、さようなら」と元気に交わす挨拶には、寂しさや別れを惜しむ感覚はありません。人が会って別れていくときに、もう会えないかもしれないと感じるようになるのは、人生の経験を重ねる過程で出会いと別れを繰り返し、人間的に成長したからといえましょう。そしてこれは、人間として味わわなければならない悲しみとも言い換えることができるものです。

 これをお釈迦さまは、愛別離苦(あいべつりく 愛するものと別れ、離れていかなければならない苦しみ)と、教えてくれたのです。

手のイラスト

別れの言葉の意味するもの

 なぜ人間は、別れの言葉を告げて、別れるのでしょうか。私は米国で生活したときの貴重な体験を思い出します。

 英語の別れの挨拶は、学校で学んだ(グッドバイGood bye)」だと思って挨拶していると「グッドバイ」と言う人は極めて少ないのです。多くの米国人の挨拶はシーユー(See you)」です。そこに「あとで(later)や「すぐに(soon)「また(again)をつけて「シーユー・レイター」「シーユー・スーン」 といった具合に話しているのです。

 アジアの人々も多い米国では、さまざまな国の言葉が飛び交いますが、中国語の「サイチェン」も、耳に入ってきました。 漢字で見れば一目瞭然(いちもくりょうぜん)、「再見」は「また会おう」という意味の挨拶です。英語を語す人も中国語を話す人も「また会いたい」という気持ちを、別れの挨拶で表現していることに気づいたのです。

握手のイラスト

 たとえ、国や民族の達いが言葉や習慣に表れるとしても、人間というものは、別れをつらく悲しいものと感じることにおいては同じものです。その悲しみを克服していくために「また会いたい」という切実に祈るような思いを込めて、別れの言葉を交わしてきたのでしょう。

さよならの意味

 それでは、なぜ日本人は別れの挨拶に、「さようなら」と言えなくなったのでしょう。「さようなら」では、再び会いたいと思う心を表現できないのでしょうか。 「さようなら」を調べてみると、元来は「左様ならば」と表記されていたことがわかります。つまり「左様」というのは、一つの出会いや出来事を「私たちは出会って、こういう時間を過ごしてきました」と、事実を振り返る言葉です。「ならば」は、それを受けて「であるから」「だから」 こそ「また会いましょう」という思いや希望を伝えるための、接続の役割をもつ言葉なのです。「私たちは、一緒に過ごしました。今日はこれでお別れですが、また会いたいですね」という気持ちを表現する言葉が「さようなら」という一語に凝縮されて表され、用いられてきたのです。

再会を願う生き方

 そして別れには、明日会える別れもあれば、この世ではもう会うことが難しいだろう別れもあります。おそらく昔の人は、会えない思いが強ければ強いほど、さようならの言葉に心を込めて、しっかりと祈るように告げたのではないでしょうか。

 この世で再び会えない人には、きっと来世で会いましょうと、約束を結ぶように、祈るように、さようならを述べたのでしょう。

 しかし、目に見えるものしか信じようとしない現代人の多くは、この世こそ至上のもので、あの世で再会する約束を交わすことなど、不可能なことと感じているのではないでしょうか。

 死をしっかり見つめるなかで、今を生きることの意味を教えてくださったのは、お釈迦さまです。私たちは、身近に縁のある人々の死を通して、別れることの悲しさや、いのちの尊さを学ばせていただいてきました。

 この私や愛する家族は、どのような場面のなかで死を迎える日と出合うのでしょう。こうして文章を読むことのできる元気なうちにこそ、自らの死を想像して、仏さまの世界に生まれられるような生き方をしているかどうかを、しっかりと見つめてみることは大切です。

 仏さまの世界を願う生き方をしてゆくとき、「さようなら」は「きっと会える」と受け止められるように変わっていくと思うのです。

 一年の連載に感謝をこめて、さようなら。

佼成 2009年(平成21年)12月号掲載

佐藤雅彦(さとうまさひこ)
1958年東京生まれ。浄土宗浄心寺(東京・文京区)住職、大正大学非常勤講師
現在、宗教家として生命倫理の問題に取り組むほか、死を間近にした人の訪問
小・中学校で「いのちの授業」を行っている
共著に『いのちに寄り添う道』(一橋出版)など
イラスト:すみもとななみ
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