浄心寺の桜

第10回 祈ることと生きること

チャプレンという幻想

 亡くなってからお経を読んでくれることも大切だが、病気や死を前にして不安で苦しんでいるときこそ、支えになってほしい―――これは、病床にある人やその家族が僧侶に期待を寄せる代表的な言葉の一つです。しばしば外国の事情と比較して「欧米では、病院の中にキリスト教のチャペルがあって、チャプレンが病室を訪問してくれる。日本の仏教は、病気のときに支えてくれない」との批判につながる場合もあります。

 言うまでもなく、「チャペル」はお祈りをする部屋やお堂を指し、「チャプレン」は一般的に、病院の中でキリスト教に基づく宗数的な活動をする人のことをいいます。元来は、キリスト教の諸聖人の遺骸や遺品を納めた礼拝堂に従事する司祭のことを示しましたが、後に学校、監獄、病院、大使館、軍隊などの施設に属す聖職者の総称として使われるようになったもので、病院に従事する人だけを示すわけではありません。

 しかし、欧米の事情を知らない人が「病院の中にチャペルがあって、チャプレンがいる」と聞くと、どのような情景を想像されるでしょうか。病院の中に教会と同じように礼拝堂があって、病棟を独特の僧衣を着た神父や牧師が聖書をかかえて歩き、病床の患者さんのそばでチャプレンが何か語っている、そんな様子を空想したのは私だけでしょうか。

 私は、実際に米国でチャプレンの姿に接するまでは、前述のような多くの人が想像するであろうチャプレン像を思い描いていました。

病院のイラスト

普通の主婦

 米国滞在中のある日、私は病院での研究会に参加する許しを得ました。入院患者の事例に基づく倫理的な問題を検討する研究会です。進行役は、看護教育担当のシスター(修道女)が務め、医師、看護師、ソーシャルワーカー、学生が積極的に意見を述べ合う会でした。

 淡い色のセーターにパンツルック、40代位の一見平凡な婦人が自己紹介をした後、自分はチャプレンだと名乗りました。「えっ、彼女が?」と疑問に感じた私は、会合が終わってから、「僧衣を着用した聖職者がチャプレンであると思い込んでいた」ことを彼女に尋ねました。

 チャプレンは「病院付き牧師」とよく訳されるのですが、彼女の返答によると、「チャプレンが専門の聖職者である」という解釈は成立せず、むしろ「病院付き宗教的ケア担当者」と理解した方がよいことがわかりました。私の出会った彼女は、チャプレンであり、じつは普通の主婦だったのです。

 ぞれでは普通の主婦が、どのようにしてチャプレンとなったのかというと、それは専門教育を受けたとのことでした。

孤独にしない関わり方

 私は、欧米の社会がキリスト教の文化を基本とする社会だから、病気になってもその教えにふれることを望む人が多く、チャプレンが必要とされるのだろうと想像していました。おそらく、多くのキリスト教信者が死を間近にすると、チャプレンと共に過ごすことを求め、その最期の祈りの中で、安らかに亡くなっていくのだろうと勝手に想像をふくらませていたのでした。

 しかし、ある中年男性のチャプレンが、私の出会った多くのチャプレンの言葉を集約していると考えられる言葉を聞かせてくれました。「チャプレンの活動? そりやいろいろさ。なんでもするよ」

「キリストの話や教えはまず話さないね。話すことといえば、今日の天気やテレビのことかな。もちろん、請われれば聖書だって読んで聞かせるよ」
「最期のとき?予めわかっていればそばにいることはあるけど、それができるのはホスピスくらいかな」
「どんなにポケットペルが敏感だって、急に呼ばれて最期のときに間に合うことなんてまずないね。それに、患者だってそこまでは望んでいないよ。家族や大切な人がそばにいりゃ、チャプレンなんて必要ないだろ」

お花のイラスト

 チャプレンの存在は、キリスト教の教えにふれるという狭い宗数的な関わりではなく、病床にある人々を孤独にしない懐の深い関わりを目指すものだと、このとき教えられました。

祈ることと生きること

 欧米では、病気だからといって特別な祈りを捧げるということはなく、したがってそのために病院の中にチャペルがあり、チャプレンの存在が求められるものでもないのです。日常生活の中に「祈る」ということが、しっかりと根付き、宗教をもつことが当然のこととして社会的に認められているからこそ、チャペルやチャプレンが必要なものとして存在するのだと私は受け止めています。

 死は、私たちの連続していく今のいのちの延長線上にあります。特別なことではないのです。悲しみや喜び、どんな状況の中でも祈りの心をもって、仏さまと一緒に生きていくことこそ、私たちに求められる「今」の生き方ではないでしょうか。

佼成 2009年(平成21年)10月号掲載

→11月号 「ごめんなさい」の祈り

佐藤雅彦(さとうまさひこ)
1958年東京生まれ。浄土宗浄心寺(東京・文京区)住職、大正大学非常勤講師
現在、宗教家として生命倫理の問題に取り組むほか、死を間近にした人の訪問
小・中学校で「いのちの授業」を行っている
共著に『いのちに寄り添う道』(一橋出版)など
イラスト:すみもとななみ
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