浄心寺の桜

第1回 「心の目」で見る仏の世界

私たちの行き先

 高齢社会になりました。長生きできることは素晴らしいことです。人生50年といわれた時代からすれば70代、80代になってからの目標を立てることのできる日本の社会は、ぜいたくな社会といえましょう。しかし長生きしたあと、私たちはどこへ向かっていくのでしょうか。人が一生を生きたところには、死があることは誰も疑いのない真実です。
「朝見かけた人のなかに、夕べ会うことのできない人がいる。夕べ見かけた人のなかに、朝会うことのできない人がいる」(阿含経)。このように仏陀は、死は突然に、思いもよらぬ速さでやってくると教えられました。にもかかわらず現実の私たちは、知人の死にかかわったり、自らががんの告知を受けるなど、死を身近に体験することがなければ、「自分の死」について正面から考える機会をなかなかもたないものです。日常の生活で、死はおおよそ忘れ去られたもので、「今日が楽しければいいや」「今日、夢中に生きられれば、それは人生を充実して生きた証し」と、どこかで決め込んでいるところがあるものです。

 こういった考え方のまま生き抜いて、何の不安も感じなければいいのですが、現実には、死の看取りにかかわる医師や看護師から報告される、死を恐れ、不安の中に亡くなる人びとの話は、枚挙にいとまがありません。

たんぽぽのイラスト

死を前にして感じる恐れや不安は、たとえどんなに科学や医療が発達しても拭い去ることのできない、人間だからこそ与えられている苦しみ、ということができるのではないでしょうか。

心のケア・ボランティア

 私は、患者さんのべッドサイドに座り、死を前にした患者さんの苦しみを聞かせていただいたり、仏教のお話をさせていただくという活動を10年以上前から展開してきました。縁のある医師や看護師と連携して、いわゆるホスピスや病院で死を間近にした患者さんに「宗数的なかかわりが必要だろう」と医療従事者が判断した場合、要請を受けて訪問するのです。日本の病院では「宗教」という言葉を用いると、後ずさりされでしまう現実から「心のケア・ボランティア」という呼称を使っています。患者さんたちとの出会いは、私たちが生きていくうえで、共有できるさまざまなことを教えてくれます。これからしばらくの間、ご縁のあった患者さんから与えていただいた「いのちのメッセージ」を皆さんにお伝えできたらと思っています。

仏の世界はどうやって見る?

 ある日、ホスピスで働く医師から電話がありました。ぜひ、佐藤和尚さんにお坊さんとして会ってほしい患者さんがいるというのです。ホスピスに入院されていることや80代半ばという高齢から、いつ病状が変化するか分かりません。私は早速、そのホスピスを訪問しました。鈴木さん(男性・仮名)は、個室に1人でいました。少し斜めに起き上がらせたべッドの枕に頭が埋まっているように見えましたが、やせ衰えた面長な顔に大きな目でギョロッと、私を見つめてきました。

 現役で働いていたころは、大きな造船会社で船の設計に長年携わってきたそうです。ですから、何ごともきちっと掌握できていないと気がすまない性分で、病気に関しても自分の病状、予後、服用している薬の効き目や副作用にいたるまで、すべて承知のうえで管理していないと嫌だという人でした。そのために、眠気を伴う鎮痛剤を拒否しているので、充分に痛みは緩和されているとはいえない状態でした。

 そして自分に間もなくやってくるであろう死のことも、納得のいくように心得ておきたいという欲求から「死後の世界をどうしたら見ることができるか」という質問を、私に投げかけてきたのです。

死後の世界のイラスト

 自己紹介後、鈴木さんはすかさず「どのようにしたら仏の世界を見ることができるのか、教えてほしい」と切り出しました。私はお経の中に書かれている表現で、極楽の蓮の花や池、さえずる鳥や空といった世界を思い描いたらどうか、と話しました。しかし、それは空想の世界であって、現実に見たとはいえないと反論してきました。日の沈み行く西方に思いを凝らす方法を説いても、西の方角に進んだら、地球を一周してもとに戻ってしまうと言い出す始末です。

大切なものを見る心

 鈴木さんは、目に見えるものとして証明してほしいというのです。「現世を生きている私たちは死後の世界の側へ行っていないのだから、それを見ることはできない」と、私は現実に戻して話をしました。大切なことは、こういう世界であったらいいなと「願いながら生きる」ことであり、「心の目」で見ようとすることではないでしょうか。こう続けたら鈴木さんは「そうか、心の目でね」と、静かにささやき、眠り出してしまいました。

 人間は、目に見えるものだけではなく、心の目で大切なものを見ること、感じることを修養しつつ生きることを教えてくれた出会いでした。

佼成 2009年(平成21年)1月号掲載

→2月号 言わなければ伝わらない痛み

佐藤雅彦(さとうまさひこ)
1958年東京生まれ。浄土宗浄心寺(東京・文京区)住職、大正大学非常勤講師
現在、宗教家として生命倫理の問題に取り組むほか、死を間近にした人の訪問
小・中学校で「いのちの授業」を行っている
共著に『いのちに寄り添う道』(一橋出版)など
イラスト:すみもとななみ
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